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「ガセネッタ&シモネッタ」米原万里
2006 / 08 / 08 ( Tue ) 13:20:30
ロシア語同時通訳者、米原万里さんのエッセイ。
いろんなところに書かれたものを集めたエッセイ集なので、
同じことが何度か出てきて、ちょっとくどく感じたりしました。
この本は、1冊通して読むのではなく、少しずついろんな本の合間に読むのがいいみたい。

米原さん、相変わらずアメリカ一辺倒の日本に憂いを感じています。
相変わらずフンドシの話も出てます。

楽しくて、辛口で。。。

もうこの世にいらっしゃらないんだな~と、何だかしみじみ思いました。

【こちらの記事もど~ぞ♪】
生きることにも心急き、感ずることも急がるる…
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米原万里 TB:1 CM:8 admin page top↑
米原万里さん
2006 / 05 / 30 ( Tue ) 21:42:21
梟さんのオススメで、今年に入って出会った方でした。

今朝の新聞で、訃報の記事に接しました。

56歳。

まだまだお若かったのに。

最近の「愛国心」を教育基本法に取り入れることについての論議や、小学校で英語教育を行うか否かの論議がされています。
どちらについても自身のスタンスをお持ちの米原さん。
彼女もひと言おっしゃりたいのでは…と思っていました。

それを聞く機会がなくなってしまったことが、ただただ残念に思われて仕方ありません。

ご冥福をお祈りいたします。
米原万里 TB:0 CM:6 admin page top↑
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」米原万理
2006 / 04 / 11 ( Tue ) 11:25:32
ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、ユーゴスラビア人のヤースナ。
彼女たちのプラハ・ソビエト学校での生活とその後を、日本人マリの目を通して描かれた作品。
大宅壮一ノンフィクション賞受賞作です。

★★★★☆

『リッツァの夢見た青空』・・・勉強嫌いでおませなリッツァ。歯に衣着せぬ言動で、鋭く物事を見抜く目を持ったリッツァ。
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』・・・大げさな革命的言辞を好む、情緒の安定した素直で気持ちの優しいアーニャ。大きな自己矛盾を悩むことなく内包してしまうアーニャ。
『白い都のヤスミンカ』・・・聡明で、美的感覚が鋭く、ホクサイを尊敬するヤースナ。民族意識は欠如しているけれど、ユーゴスラビアに愛着があると語るヤースナ。「私は空気になりたい」と言うヤースナ。

彼女たちのソビエト学校での生活が生き生きと描かれているからこそ、その後の激動の東欧の歴史の中で生活していた彼女たちの姿が胸に迫ります。
特にマリがヤースナに会いに行く場面。ヤースナ、ちゃんと生きているのかしら。内戦に巻き込まれて、とんでもないことになっていないかしら。私も一緒にドキドキします。あのとき、どんなことがあってもおかしくない状況だったのだ、と思い知ります。

チャウシェスク政権が倒れた後のルーマニアの疲弊した姿に、やるせない思いを抱きます。
ユーゴの健全な姿を知るにつけ、アメリカとNATOのベオグラード市への爆撃に暗澹とした気分になります。

この作品には、日本にいては知ることのできなかった中東欧の現状が映し出されています。
ニュースとして報道されていた歴史的出来事は、そこにいる人々にとっては生活そのものだったんだと、当たり前のことですけれど思います。
日本で流されているテレビや新聞などの報道が、ある種の偏りを見せていることに、気づきます。
また、
実際に映っているものでも、脳みそのスタンスによって、まったく見えないことがある
という事実も、確かにあるなと気づきます。
人に対する理解は想像から始まる。そしてその想像は体験に基づかれるものである。そんなマリの通訳者、ドラガンの言葉も、心に響きます。
ホント、私は何も知らない。そんな思いを抱きます。

この作品は1999年で終わっています。
その後、彼女たちは何を思い、どういう生活を送ったのだろう。
ヤースナは、リッツァは、アーニャは・・・・・。
米原さんにその後の彼女たちの物語を描いていただきたいけれど、
今、米原さんは病床にあるといううわさも聞きます。
早く快癒されますように。
そして、ロシア語通訳者ならではの、アメリカ寄りではないスタンスである米原さんの目から見たヨーロッパの今を伝えていただきたい、そう願っています。
米原万里 TB:1 CM:14 admin page top↑
「旅行者の朝食」
2006 / 01 / 17 ( Tue ) 12:22:50
おもしろかったです。
以前に読んだ「不実な美女か貞淑な醜女か」に比べると、ぐっと軽く読みやすいです。

★★★★☆

「キャビアをめぐる虚実」なんて、真面目な筆致で大嘘つきなんだから♪おかげでお腹にジッパーをつけてるチョウザメの姿が私の中から消えてくれません。(笑)

トルコ蜜飴やハルヴァ、冷凍白身魚の鉋屑。どれもみんなおいしそう。
米原さんの、本当に美味しいのよと、ただそれだけを伝えたいという文章に、食欲をそそられます。

だけど「シベリアの鮨」なのね。過酷な気象条件の下に暮らす日本人の切実な思いが何とも切なく、ほろ苦く、おかしかったです。

その地の食を通じて感じる民族性の違いや、食と民族のアイデンティティーの密接な関係など、ロシア語同時通訳者ならではの視点も、なるほどな~なのでした。

上品なユーモアに包まれて、米原さんはジャガイモの歴史、フルコースの変遷、キリスト教会の分裂の真相なんかも探求します。
ふ~ん、そうなんだ~と思いつつ、ふっと心和んでいるのでした。

あっ、「キッチンの法則」で食器洗い機は無用の長物みたいに書かれているけれど、あれはとても便利です。もう使い始めたら手放せません。
これは米原さんにぜひとも教えてさしあげたい(笑)

米原さんのエッセイ、また読もうと思ったのでした。
米原万里 TB:1 CM:6 admin page top↑
不実な美女か貞淑な醜女か
2005 / 11 / 29 ( Tue ) 12:49:16
軽いお気楽エッセイかと思ったらとんでもない。実にしっかりとした「通訳論」でした。
だけど、その内容には深くうなずくところがあり、エピソードは楽しく、その文章はおだやかで、読後感は爽やかでした。

★★★★☆

「通訳論」ですから、当然お話は、「通訳・翻訳とは何か」から始まり、「通訳と翻訳の相違点」に話が及び、異文化を背景とした者同士の「何を伝えるか」「どう伝えるか」と発展します。

何だか難しそうでしょ?
だけど米原さんは、小難しい言葉を使うことなく、自分の仕事をきっちりと説明し、その大変さを伝えてくれます。同時にそのおもしろさも。
自分の仕事に誇りを持っている人にありがちな、ひけらかすというような尊大な態度もなく、等身大の自分たちを見せてくれます。
読んでいる私は、通訳者たちの数々の失敗にクスリとしながら、
ふと気がつくと、言葉について考えていました。

米原さんは、森羅万象を言葉によって表現すること、つまり物事を命名することによって、それに呪縛され、かえって見落としてしまうものもあると言います。これ、私もそう思います。一度レッテルを貼ってしまうと、そのレッテルしか見なくなる傾向が人間には確かにあるので、「そのもの」を見る努力が必要だと、私も思います。

何をどう伝えるのか、というのが通訳者にとって一番本質的なテーマです。
これは、日頃母国語でコミュニケーションをとっている私たちにとっても一番大事なテーマだと思います。
字面にとらわれて本質を見失ってはいけないという米原さんの言葉は、「それによって何を伝えたいと相手は思っているのか」を常に考えた受け取り方が必要だと言っているようです。「通訳は言葉にではなく、情報に忠実たれ」と。
うん、確かに。これが結構難しいんだけどね。
だけど、ごく普通のコミュニケーションの場では、分からなければ聞く、というのが案外大事なことかもしれませんね。

また米原さんは、異なる言語間の意思疎通を取りもつという営みは、異なる文化背景や制度や習慣、あるいは個人の歴史など、言葉を発する人の文脈を把握し、添えてさしあげることを怠ってはならないと言っています。
私のお友達で、ブログの中に、「言葉の持つイメージの引き出しをなるべく満杯にして、どれが来てもすり合わせができるようにしていきたい。」と書かれた方がいます。
相手の文脈を把握する、そしてその文脈に添った言葉を使うということだと思います。
相互理解というのは、そういうところから生まれるのだろうなと思いました。

同時通訳の中で「異文化間の溝を埋め、文脈を添付する」ことを素早くやるには、余分な言葉を極力排除する、言葉は少なくとも情報量は減らさないことようにすることが大事だそうです。
そうやって余分なところをばさばさ切っていったら、何も残らないこともある。それはそれで、時間を共有することが大事であった、ということなのだと。

こういう聞き方を知っておくと、なかなか言いたいことが分からない、特に政治家の話なんかを理解するのに役に立つかもしれないですね。
新しい情報をレーマ、古い情報をテーマと分けて考えるという考え方も、無意識のうちにやってきたことがくっきりと浮かび上がるようで、
なるほどな~と思いました。

米原さんは、母国語の大切さを説いています。
「日本語の下手な人は、外国語を身につけられるけれども、その日本語の下手さ加減よりもさらに下手にしか身につかない。」と。
まずは何をさておき母国語の能力を高めておくことが大切だと。
あ~よかった。私も前から、幼児期に英語を教えることにとっても違和感があったのよね。
米原さんは日本の学校での日本語教育の貧しさを嘆いていらっしゃるけれど、確かにな~と思いました。ちょっと耳が痛かったです。

ところどころに入るロシア語をボツポツと読んでみるのも楽しかったです。
ロシア語のキリル文字は眺めていてもきれいです。

中身をペラペラとめくっていたらきっと手に取らなかったであろう硬派な雰囲気の漂う本でしたが、何も考えずに読んでみて、何だか不思議な気がしました。
最近、自分のコミュニケーション能力についてちょっと考えることがあったので、私に読まれたがっていた本のような気がしたのです。
今のこの感じをどう表現していいのか分からないけど、私はすごく幸せかも。

また米原さんのエッセー(!)を読みたいなと思いました。
米原万里 TB:0 CM:6 admin page top↑
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