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不実な美女か貞淑な醜女か
2005 / 11 / 29 ( Tue ) 12:49:16
軽いお気楽エッセイかと思ったらとんでもない。実にしっかりとした「通訳論」でした。
だけど、その内容には深くうなずくところがあり、エピソードは楽しく、その文章はおだやかで、読後感は爽やかでした。

★★★★☆

「通訳論」ですから、当然お話は、「通訳・翻訳とは何か」から始まり、「通訳と翻訳の相違点」に話が及び、異文化を背景とした者同士の「何を伝えるか」「どう伝えるか」と発展します。

何だか難しそうでしょ?
だけど米原さんは、小難しい言葉を使うことなく、自分の仕事をきっちりと説明し、その大変さを伝えてくれます。同時にそのおもしろさも。
自分の仕事に誇りを持っている人にありがちな、ひけらかすというような尊大な態度もなく、等身大の自分たちを見せてくれます。
読んでいる私は、通訳者たちの数々の失敗にクスリとしながら、
ふと気がつくと、言葉について考えていました。

米原さんは、森羅万象を言葉によって表現すること、つまり物事を命名することによって、それに呪縛され、かえって見落としてしまうものもあると言います。これ、私もそう思います。一度レッテルを貼ってしまうと、そのレッテルしか見なくなる傾向が人間には確かにあるので、「そのもの」を見る努力が必要だと、私も思います。

何をどう伝えるのか、というのが通訳者にとって一番本質的なテーマです。
これは、日頃母国語でコミュニケーションをとっている私たちにとっても一番大事なテーマだと思います。
字面にとらわれて本質を見失ってはいけないという米原さんの言葉は、「それによって何を伝えたいと相手は思っているのか」を常に考えた受け取り方が必要だと言っているようです。「通訳は言葉にではなく、情報に忠実たれ」と。
うん、確かに。これが結構難しいんだけどね。
だけど、ごく普通のコミュニケーションの場では、分からなければ聞く、というのが案外大事なことかもしれませんね。

また米原さんは、異なる言語間の意思疎通を取りもつという営みは、異なる文化背景や制度や習慣、あるいは個人の歴史など、言葉を発する人の文脈を把握し、添えてさしあげることを怠ってはならないと言っています。
私のお友達で、ブログの中に、「言葉の持つイメージの引き出しをなるべく満杯にして、どれが来てもすり合わせができるようにしていきたい。」と書かれた方がいます。
相手の文脈を把握する、そしてその文脈に添った言葉を使うということだと思います。
相互理解というのは、そういうところから生まれるのだろうなと思いました。

同時通訳の中で「異文化間の溝を埋め、文脈を添付する」ことを素早くやるには、余分な言葉を極力排除する、言葉は少なくとも情報量は減らさないことようにすることが大事だそうです。
そうやって余分なところをばさばさ切っていったら、何も残らないこともある。それはそれで、時間を共有することが大事であった、ということなのだと。

こういう聞き方を知っておくと、なかなか言いたいことが分からない、特に政治家の話なんかを理解するのに役に立つかもしれないですね。
新しい情報をレーマ、古い情報をテーマと分けて考えるという考え方も、無意識のうちにやってきたことがくっきりと浮かび上がるようで、
なるほどな~と思いました。

米原さんは、母国語の大切さを説いています。
「日本語の下手な人は、外国語を身につけられるけれども、その日本語の下手さ加減よりもさらに下手にしか身につかない。」と。
まずは何をさておき母国語の能力を高めておくことが大切だと。
あ~よかった。私も前から、幼児期に英語を教えることにとっても違和感があったのよね。
米原さんは日本の学校での日本語教育の貧しさを嘆いていらっしゃるけれど、確かにな~と思いました。ちょっと耳が痛かったです。

ところどころに入るロシア語をボツポツと読んでみるのも楽しかったです。
ロシア語のキリル文字は眺めていてもきれいです。

中身をペラペラとめくっていたらきっと手に取らなかったであろう硬派な雰囲気の漂う本でしたが、何も考えずに読んでみて、何だか不思議な気がしました。
最近、自分のコミュニケーション能力についてちょっと考えることがあったので、私に読まれたがっていた本のような気がしたのです。
今のこの感じをどう表現していいのか分からないけど、私はすごく幸せかも。

また米原さんのエッセー(!)を読みたいなと思いました。
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