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「障がい者」という表記~あれこれ
2006 / 02 / 20 ( Mon ) 08:44:50
たまねぎちゃんへのコメントがと~っても長くなってしまって、コメント欄には入りきれなくなったので(^^;)、記事として載せてみます。
私は有識者でもなければ専門家でもないから、
考えが浅いところや分かってないところ、たくさんあると思います。
けど、ま、私の今現在の気持ちです。
ぐちゃぐちゃだけどね(^^;)

たまねぎちゃんの投げかけ。
>「障がい者」と書くの、どう思いますか。

いきなりヘビーだわ(*^_^*)
しかも、「障がい者」という表記、私は見たことなかったし…。
「がい」って何だろうね。
苗坊さんのおっしゃるように、「自分にとっても人にとっても、害はないし、差別用語だと考えられている」から、ひらがなにしてみた、ということなんだろうか。
それとも、「碍」という字が常用漢字にないから、ひらがなに開いてみたんだろうか。

「障害者」を「障がい者」と書くことも「障碍者」と書くことも、結局意識の高い人の意識的な区別であって、「ショウガイシャ」という音には変わりないよね。
そういう言葉の書き換えに、どれだけの効力があるのかな~と感じています。

多分、意識の高い人たちは、そうやって字を変えることによって、人の注意を喚起し、自分たちの主張を聞いてもらいたいという気持ちがあるのかな~と思います。

だけど、ただ字面を変えるだけなんて、呼び方を変えるよりも随分弱々しい主張だわ。。。
もっとほかに伝え方ってないのかな~と、何だか歯がゆい思いが先に立ちます。
「差別用語」は言葉自身に責任はないのではないかな~。
それを使う人の感情を乗せて、初めて差別用語となりうるという気がします。
これは差別用語だから封印、これを言ったら傷つく人がいるから封印、というような、小手先の書き換えなんかでとりあえずお茶を濁すやり方は、本当に伝えたいことを伝えるだけの力があるのだろうか。。。

今まで、多くの言い換え、書き換えがなされてきたけれど、
そしてその歴史を私たちは見てきたけれど、
それだけでは人のとらえ方を変えることはできなかったのではないかな~と感じるのです。

問題は、その言葉に乗せる波動というか、メッセージというか、そういうもっと奥のところなんだろうな~と思います。

「障害」を「障がい」と表記する人たちは、社会にとっての邪魔者という意味で使われてきた「障害」という概念自体を変えたいと思っていると思うんだよね。
私も、それはとても必要なことだと思うし、大切なことだと思います。

社会にとっての障害ではなく、自身が社会に参加するときに障害になるもの、というとらえ方が、早く一般社会にも浸透するといいなーと思います。そうなれば、親や当事者が「障害」という言葉に傷つくことなく、必要な援助を思う存分受けられる気分になれるかな~と。

「障害」という言葉にどういう概念を乗せるかということだと思います。
そして、今までの概念を破っていきたいのなら、マスコミの風潮や、教育の力や、いろんなものの力が必要になるのだと思います。
専門家が専門書で幾ら説いても、一般社会には浸透しないよね。

今現在の教育現場なんかを見ると、「社会にとっての障害」の次に来ているものは、「障害」=かわいそうなのではないかと感じています。

小学校なんかで最近よくやられている「ハンディーキャップ学習」は、真の障害者の理解につながるのかな~と思っています。
「ハンディーキャップ学習」って、例えば目の見える子が目隠しをして、どんなに不便かを感じる、歩ける子が車いすに乗ってみて、どれだけ不自由を感じているか知る、というものだよね。
それによって得られる感情は、「大変なんだな」「かわいそうだな」でしかないんじゃないかな。
でも、本当に目の見えない人の世界は、例えば聴覚が一般の人より鋭かったり、触覚が発達していたりして、ただ単に目隠しをしたからって得られる世界ではないと思うんだよね。
車いすの人もそう。そこに広がっている世界は、やっぱり一般の人の世界とは違う世界があるんじゃないかと思うんだわ。
でも、「ハンディーキャップ学習」ではそこまで知ることはできない。
人が人を認めるって、根っこには「尊敬」の感情が流れているんじゃないかと思うんだけど、「かわいそう」という感情には、自分より下というような、そういう感覚が流れているように思う。
あるいは、、、
人が人を認めるって、自分の陣地から1歩相手の陣地に近づくことから始まるのではないかと。。。でも、「かわいそう」という感情は、自分の陣地から相手を見ているという、何だかそんなイメージが私にはあります。
そんなところから発せられる援助って、何だか偽善めいてるな~なんて思うのは、私がひねくれているからかな~。。。


「障害者」を「障がい者」と書くことはお互いを認めあえる世界を目指すための第一歩なんだという意思は、十分感じられるんだけどね。

もっともっと直接的な「意識への働きかけ」が必要なんだと思います。
でも、そういった働きかけに最も役立つであろうマスコミが、これから始まるパラリンピックの取り上げ方や、そのほかのいろんな場面の論調なんかを見る限り、「かわいそう」が基調にあって、「乗り越えることの美しさ」を伝えたがっているかな~なんて思います。

そういうことを続けていく限り、どんな漢字をあてようと、やっぱり「ショウガイ」という言葉で傷つく人は少なくはならないだろうし、差別感を与えることには変わりないんじゃないかな~と思います。

「障害は不便であって不幸ではない」と断言できる乙武さんみたいな方には、自分がどんなに普通にできるか、ということを語るのではなく(それも大事なことなのかもしれないけれど…)、自分の世界がどんなに豊かなのか、をもっともっと語ってもらいたいな~なんて思います。
人はみんな自分の住んでいる認知世界が「普通」の世界なのだから、
ついつい自分の感じている世界とほかの人の世界が同じようなものだと思ってしまいます。
だから、欠けている部分は分かりやすいけど、自分に備わっているすぐれた部分は、自分のこととはいえ、なかなか見えにくいもの、把握しにくいものだと思います。
だから、語れって言ったって、そんなに簡単なことじゃないとは思うんだけれど。。。。
『よさを認める』とか『みんな違ってみんないい』という精神とかって、それぞれの認知の世界を知ることから始まるんだというふうに自分のことも他人のことも捉えられたら、
今とは違う世界が開けるんじゃないかな~、なんて思っているのです。

…言葉があまりに拙くて、自分でも自分の思っていることがちゃんと伝えられていない気がします。(というか、自分の思っていることがちゃんと言葉になってない気が…^^;)
でも、とりあえず送信!(*^_^*)
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*Comment  Thank you*
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  ◆◆

「障がい者」という表記は、私は講師の方が言っていたので、そのまま鵜呑みにしてしまったんですけど^^;
私はそれで、納得したんですよね。
確かにそうだなぁって思ったので。
身体が不自由な人にとっては、私達の「かわいそう」などという意見は、邪魔なだけな気がします。
私達は、障害を体験するだけではなく、それを理解しようという想いも必要だと思いますね。
体験する授業もありますけど、やっぱり「かわいそう」とか「大変だな」くらいしか、理解できないですよね。
それを更に踏み込んだ授業が必要なのではないかと思います。
って、私の意見ですが^^;
by: 苗坊 * 2006/02/20 10:14 * URL [ *編集] * page top↑
  ◆◆

いい話をありがとう。内田百は琴を上手に弾じて宮城道雄とは親友でした。宮城が東海道線の列車から落ちて死んだときのことを書いたエッセイ「東海道線刈谷駅」は名作です。その内田は「めくらさん」と書いてました。「視力障害者」ではなく。まして「視力にハンデイキャップがある人」なんていわなかった。宮城が目が見えないことをいい事にいろんないたずらをしたことが他の随筆にも出てきます。しかし宮城を愛することにおいて誰よりも深いものがあった人でした。
by: saheizi-inokori * 2006/02/20 11:00 * URL [ *編集] * page top↑
  ◆◆

めくら、つんぼ、びっこ、以前曽野綾子さんが自分のことを「あきめくら」だと言おうとしてあるTV放送の本番では言わないようにと言われたそうです。でもダメだという人の心に差別はある。彼女はそー言います。言われた方はやっぱり嫌なのかなぁ。乙武さんなんかは人と違うだけと言っていますよね。いずれにしてもやっぱり議論の絶えないことなのかしら?

ええと下のコメントへの質問ですが『西の魔女が死んだ』を読んだことがあります。でも息子の受験がらみの斜め読みであまり印象が残っていないのです。「裏庭」が良いのですね。あと一瞬彼女と勘違いしたのが湯本香樹実さんです。題名もちょっと似ていて「夏の庭」これも面白かったな。

須賀敦子さんは実は彼女が作家になる前からの知り合いで、後に本を出されてびっくりでした。でも作家としてこれから!という時に突然亡くなってしまったの。エッセイとも小説ともつかない独特の文体に惹かれます。「ヴェネツィアの宿」が一番好きかな?
パールバックは「大地」でノーベル賞を取りました。3部作で長いですが、読み応えありです。

一人の作家にのめりこむタイプでして、若い頃は立原正秋を読破いたしました。長くなってすみません。
by: 一陽 * 2006/02/20 18:34 * URL [ *編集] * page top↑
  ◆◆

苗坊さん、おはよっ♪
こ~んなどうしようもなく長いの、読んでいただいてありがとねv-315
私なんか、えらそーなこと言っても何もできないな~と思うのですが(^^;)
まぁ、思いは高く♪なくちゃねっ(^_-)-☆

>障害を体験するだけではなく、それを理解しようという想い
>それを更に踏み込んだ授業
これ、本当に大事だよね~と思います。
もしかして何か見聞きしたら、ぜひとも教えてくださいな♪

今、伊坂さんの「アヒルと鴨のコインロッカー」読んでます。
苗坊さん、伊坂さんの本をたくさん読んでたよね?
おもしろいというか何というか、ヘンな作家さんだな~と思いますo(^▽^)o
by: そら * 2006/02/21 11:17 * URL [ *編集] * page top↑
  ◆◆

梟さん、おはよっ♪
こ~んな妙に長いの、読んでくださってありがと~v-315
内田百聞の話、私もどこかで聞いたことがあったな~と思い出しました。
さすが梟さん、ええお話やわ~(*^_^*)
>宮城を愛することにおいて誰よりも深いものがあった
やっぱ愛かしらね。
本当はすごくシンプルなことを頭で考えようとするから、
妙にねじ曲がってしまうのかもね。
愛…かぁ。。。深遠なテーマだ。。。

by: そら * 2006/02/21 11:22 * URL [ *編集] * page top↑
  ◆◆

一陽さん、おはよっ♪
>いずれにしてもやっぱり議論の絶えないことなのかしら?
うん、本当に。議論の絶えない話なんでしょうけど、何だか両者で乗ってる土俵が違うような気も、少しします。気、だけだけど(^^;)こんなまとまらない記事にコメント、ありがとね♪

おぉ~!立原正秋読破かぁ~\(^o^)/
私の友達にも、立原にのめり込んで、ついに能まで始めてしまった子がいました。
ちょっとその子のことを思い出したわ。
今、ど~してるかな~。。。

須賀敦子さんの「ヴェネツィアの宿」。
メモしておきました。
リアルでもお知り合いだったのね。
普通に読むのとは意味合いというか、読むときの感慨が違うでしょうね。
もう亡くなってしまったのなら、なおさら。。。。
私も、読んでみたいと思います。

梨木さんはね、「裏庭」もよいけど、「エンジェルエンジェルエンジェル」もよいよ。とっても薄い本なので、もしよかったらど~ぞ♪

また、遊びに来てね(^o^)/~~
by: そら * 2006/02/21 11:47 * URL [ *編集] * page top↑
  ◆◆

書いたあとしばらくばたばたしてて、あんまりサイトめぐりしてなかったの。書き逃げみたいで気になっていました。

実はね、ダウンのお子さんを持つ友人があの記述に憤っていたのですよ。「じゃあ、これからの運動会は『障がい物競争』って書くの?」って。生きていくうえで多少のさしさわりがあって、それが障害なんだからいいんだよ、漢字でって彼女は言うのです。
なんというか、逆に差別を助長することはないのか、というのが彼女の言い分です。書き変えることで目をひき、ああやっぱり、という目で見られるのがイヤだと。その気持ちはとてもストレートに伝わってきた。

たぶん、いろんなところで線をひいてしまう考え方が、この国には深く浸透してしまっていて、それがこんなところにも出てしまったのかなぁと思います。共に生きるということがなぜこんなにも難しくなってしまったんだろう。

できることを担ってもらい、できないことをできる人が補う、たったそれだけのことなのに。

このトピックは一生考え続けていくと思う。っていうか、一生離れられない問題。

誰もの心の中に大きさはそれぞれであっていいから、ちょこっとだけ考えるスペースがあってほしいと思います。



by: たまねぎ * 2006/02/28 12:14 * URL [ *編集] * page top↑
  ◆◆

たまねぎちゃん、こんにちはっ♪
もう3月だというのに、寒いね~v-356
書き逃げなんて、そんなことないのに。。。
余計なこと気にしないで、思いついたときに思いついたことを書き込んでみてくれるとうれしいな~と思います。v-221

んで、これ。
>ダウンのお子さんを持つ友人があの記述に憤っていたのですよ
あぁ、そうだったのか~。
実際にそういう思いをしている方のお話は、重たいね。
>共に生きるということがなぜこんなにも難しくなってしまったんだろう。
本当に。私もそう思います。
たまねぎちゃんのおっしゃるように、事はすごくシンプルだと思うんだけどね。
「効率」とか「損得」で物事を考えていると、どうしても「できることを担ってもらい、できないことをできる人が補う」という考え方には至らないかもしれないね。
だれもがそうやって補い合って生きていけたら、それぞれの世界が豊かに暖かくなるんじゃないかと思うな。
>誰もの心の中に大きさはそれぞれであっていいから、ちょこっとだけ考えるスペースがあってほしいと思います。
まずは私自身の中に、そういうスペースを持っていたいと思います。

たまねぎちゃん、ありがとね♪
by: そら * 2006/03/01 15:44 * URL [ *編集] * page top↑
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