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「水滸伝」十一~天地の章 北方謙三
2011 / 03 / 27 ( Sun ) 18:01:46
思い切った展開です。

★★★★☆

梁山泊の頭領の対立が深刻化していた。兵力をもっと蓄えたい宋江。今すぐ攻勢に転じるべきだと主張する晁蓋。しかし、青蓮寺は密かに暗殺の魔手を伸ばしていた。刺客の史文恭は、梁山泊軍にひとり潜入し、静かにその機を待ち続ける。滾る血を抑えきれない晁蓋は、自ら本隊を率いて、双頭山に進攻してきた官軍を一蹴し、さらに平原の城郭を落とした。北方水滸、危急の十一巻。(Amazonより)



ここは一気読みでしょう♪
結構山場…かも。
          

梁山泊の2人のリーダー,宋江と晁蓋。
宋との軍事衝突を,
軍勢10万まで力を蓄えてからとする宋江と,
3万で決起。その後,同志を集結させようとする晁蓋。

2人のリーダーが立っていれば,
こういった対立も生まれるだろうと思います。

そして2人の対立は,やがて梁山泊の脅威ともなるのでは…と思っていただけに。

何とも驚きの展開でした。

確かにね。
晁蓋殿,絶妙な時期に幕を下ろしたって気がします。

しかも死に方があまりにあっけなく。

戦で雄々しく散る…といったものではなかったところが,
悲しく切なく,無慈悲なものを感じます。

世の中の無常というか,
人の生き死にについて,
ちょっと考えてしまう読者のために,
作者さん,樊瑞を用意してくれています。

何が生死を分けるのか。

…これは,親しい人を理不尽な形で亡くしたとき,人は必ず考えてしまうことだと思います。

彼は死んだ。でも私は生きている。

そのことをどう受け入れるか…ということでもあると思います。

何が生死を分けるのか,見えてくることはなかった。それを見ようとするのが愚かな行いだということが,
なんとなくわかっただけである。

人は,たやすく死ぬし,なかなか死なない。
死んでもおかしくない者が生き,死ぬはずのない者が死ぬ。それは,死ぬ時が決まっているからではないのか。

その時が来るまで,死にたくても,死ねない。
時が来てしまえば,死にたくなくても死ぬ。
そしてそれぞれの人間が,その時,を持っている。



樊瑞が自らの肉体を追い込むことで見出した答えが,
ただ一つの答えだとは思えませんが。

今後の樊瑞も,ちょっと気になるところです。

最後に晁蓋の最期を引用。



なにかが,ふわりと自分に寄り添ってくるのを感じた。
やさしげで,触れると心地よさそうで,包み込まれるとかぎりなく安らかになれる。
しかし,冷たい。
この冷たさが死なのか。
そう思った瞬間,憤怒にも似た思いが晁蓋を包み込んだ。
………(中略)………
「去ねっ」
晁蓋は叫んだ。
自分を包み込むものを両断したと思った。
そのむこうには,鮮やかな光に満ちた世界が拡がっていた。




…なんかね。。。。
…切ないです。。。



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